私は家事を溜めがちでした。
一人暮らしの頃は、家で一日中家事してるなんてことなかったです。
・仕事で疲れてゴロゴロ寝てる
・お菓子と映画や本で、気づいたら一日が終わってる
・買い物や遊び(ストレス発散中心)で家にいない
仕事では片付けをしたり、動くのも好きな方なのに、家では何でこんなにも動く気になれないのか…って、不思議でした。今思えば、完全に仕事のために、すべての生活があるというか…。仕事人間ということじゃなくて、なんというのか…。仕事で全気力を使い果たし、その回復のために他の生活があると言うような感じでしょうか。
家事は誰かが来るか、出かける直前にババっと済ませるような感じで。『さあ、洗濯しようかな。掃除したいな』ってことから始まる1日なんて、殆どなかった気がします。
私は家事が苦手だ、合わない、やる気がない!!
そんな風に思ってたけど、今は自分をリセットしてくれる大切な大切な日常の一つになりました。
その大きなきっかけになったのが、毎日毎日洗っては使うを繰り返してきた布おむつ生活だったかなと思います。あんな風に洗っては戻し、また使うという繰り返しを、爽快にさえ感じられた経験があるから、今は家事も、手を加えて循環させる作業もとても好きです。
朝一番の布おむつ洗い
子供が生まれて始まったのが、布おむつ。
せっせと汚れたおむつを交換して、バケツに入れておいて、溜まったら洗う…。
洗って、干して、畳んで、戻して、
また、すぐ使って、汚れて、バケツへ。
布おむつって、この繰り返し。
ビックリするくらい、繰り返し。
今洗ったよ…
干したよ……
畳んでるじゃん…。
そんな合間にも、またキレイな布おむつが消費されていくのです。そしてまた、明日にはこのバケツの中いっぱいに溜まるのです。
そんな布おむつを、私は朝一番に洗っていました。まだ誰も起きてない、授乳の合間。お弁当づくりの前の静かな早朝にコソコソと起きて、洗う。
当時は、井戸があるような古民家に住んでたので、井戸の横で外の景色見ながらゴシゴシと。
それは、案外気持ちのいい時間でした。
おむつ卒業が見えてきた時期が1番イライラ
うんちがトイレで出来たり…出来なかったり…の布おむつ卒業間際。この頃に、我が家は次女が誕生しました。使うおむつは単純に倍増です。
出来そうで出来ないトイレでのうんち…。
タイミング合わせられなかった悔しさ…。
『イライラするなら、紙おむつ使いなさいよ…』
今の私ならスルッと言える言葉ですが、当時は固執していて、なかなか紙おむつと布おむつをバランスよくも使えませんでした。
だから、無駄なイライラを抱えたり、無関係の子どもたちに八つ当たりしたり。無茶苦茶でした。
こうなると、本当に私の意地の押し付けに他なりません。そういう時を経て『ああ、そっか。アホだな私が…』と、無駄な頑張りと八つ当たりのアホさ加減に気づいていくんだなと思ったり…。
やらなきゃいけないこと、やらなくてもいいこと
やらなきゃいけないとき、やらなくてもいいとき
自分の気持ちの優先と、相手に必要なものごと
そんなバランスの取り方と必要性を、痛いほどに教えてくれたのも、布おむつかもしれません。
次女の誕生で変わった布おむつとの付き合い方
人が一人増えるというのは、凄いことで。
私と長女だけの時には気づけなかったアレコレにいとも簡単に答えが出たりしました。
長女に対して話す時には、次女が第三者。次女に対して話す時には、長女が第三者。
そんな風になってくると、私がいかに暴君なのかが響いてきたりしました。
実際に、布おむつをそこまで固執してる自分に降参せざるを得なくなったりもしたのです。だから、外出のときには使い捨てのように古い布おむつを捨ててきたこともあるし、『今日はやーめたっ』て家でも紙おむつにするようになりました。
丁度いい・程よいを見つけるまでに、ギューって頑張って固執した何年間が私には必要だったのです。
そんな渦中に長女は巻き込まれてくれて、大きな損だったのかもしれない…。
だけど、ちゃんとそんな彼女の受けてきたメリットとデメリットをいつかきちんと回収して、私と彼女の奮闘成長物語として『あれがあってよかった』にしてあげられるように、頑張らなきゃと思う。
何でも考えなしにやっちゃう癖
私は『これいいなぁ』と思うと、あまり考えたり、調べたりせずにやってしまう。
周りの忠告や説明も聞いてるようで右から左。
やりたいようにやったり、そのせいで失敗したり。そんなことを繰り返して、身につけて納得が後から後からやってくる。
そんな感じでこれまで来たなぁと思うのです。
布おむつもまさにそうで、今思えば、根を詰めてやってたのです…。あんなストレスは持つ必要なかった。
だけど、繰り返すうちに得ていく、あの循環してるなぁって言う爽快な気持ち。
外から見たら、大変だなってことが何でもなくなる瞬間を。
私は得ていたのです。
それは、繰り返したり固執してでもやった人にしか得ることの出来ない大切な感覚だと私は感じている。
人の迷惑、特にこどもの迷惑になってはいかなかったと、心からの反省をしつつ。あの時、あの感覚を達成させてくれた長女と次女には、心からの伝えきれないほどの感謝を私は感じています。
あの大切なかけがえのない時間をくれて、ありがとう!!
こんな人で申し訳ないけど、いつかこの人で良かったと思ってもらえるように、偏りながらも歪ながらも私は私を頑張って生きて観せていたいとおもうのです。
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