ちっぽけな人間と暮らしのルーティン

私はとても不器用で、色んなことを飲み込むのに時間がかかります。人と思考が違うとか、色をなことを考えすぎるとか、自分の特性もあるけど。咄嗟のときにワンクッション置きながら考える癖はなかなか抜けません。

だから、人と何かを為すときには、色々と行き違いが生まれることもあり、その悶々とした何かを整理するためにも、親しんだ暮らしの動作はとても重要で。私に落ち着きとともに、頭だけでなく心で感じていた違和感やザワツキを整理して、意識にあげてくれるのです。

人と違うこと…

人からは変わって見える行動…

イレギュラー感…

そういうことが多くて、落ち込む日もあります。だけど、きっとそれは普通のこと。傷つくことも悲しいことも辛いこともあれば、楽しいことも嬉しいことも幸せなこともあります。

そういう湧いてくる気持ちの根源を知るために、暮らしのなかのルーティンワークがあるのだと思います。

ちっぽけで、変わり者で、不器用で…。

それが、分かりやすく現れがちな自分のことを、私は少しだけ好きです。

それは、人間がちっぽけな存在なのだと言うことを、痛いほどに感じられるからです。

弱くてちっぽけだから、助けられて生きていること。

助けられた分、ちっぽけな事しかできなくてもお返しできないかと頑張れること。

そんな小さな小さな積み重ねが、ちっぽけすぎる私の人生なのだなと思える。

そういう瞬間も、暮らしの動作とともに生まれてきます。

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