本当に大切なことは日常で伝える・伝わる

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私は3人の子供を産んで、初めて知ったことや気づいたことがたくさんあります。
それまでは、知ることも気づくこともなく、ただなんとなく感じてはいても通り過ぎることが出来ていたこと。だけど、子供という自分より大切な存在に出会い、自分と同化していた存在が一人の人として成長していく過程で、通り過ぎることが出来ず立ち止まってしまうことが私には起こりました。

大きな転機は、3人目の子供が先天性疾患を持って生まれてきたこと。
一歳前に手術を終えて、今は元気に過ごしています。だけど、この子が生まれてきてくれて、一歳になる前に大きな手術を受けたことは、大きな衝撃で自分自身を大きく見直すきっかけになりました。それまでの価値観や、見えていると思っていた世界が崩れるような感覚の一年を過ごした後、私はバーンアウトのように一旦子育てから逃げていました。

その時期は決して短いものではなくて、5年という長い長い時間を要してしまったのだけど。その時間を越えて、今また子供たちと向き合えている日常に大きな幸福感を感じています。決して当たり前ではないけど、ずっと続いていくような毎日の連続と穏やかな日常。その中で自分自身が安心していられるというこの瞬間がとても嬉しく、過去も含めて感謝でいっぱいです。

これまでを支えてくれていたすべての人に感謝を込めて、この文章を書き留めておきたいと思います。

「自分らしさ」と無縁だった日々

『自分らしく生きる』
そんな言葉をよく耳にするようになり、『自分らしさ』ってなんだろう?と、考えさせられることも多いのですが。私はこの言葉の本質を知らないまま、学校や社会に従属することに一生懸命に生きていました。だから、看護師になるまでの21年間は自分らしさと無縁の生き方をしていて、そのことに疑問を抱くこともありませんでした。学校や社会のリズムに応じるために、自分の感覚を抑えることが生きる術のようでもあったんだと今振り返って感じるくらいです。

それは、父が教師であったということの影響も大きかったし、自分の感覚とは全く違う母が専業主婦でずっと居たということも大きかったのですが。当時はもちろん、つい数年前まで自分の両親がどんな価値観と感覚でどんな子育てをしてきたのかを、私は知りませんでした。

両親との日常のやり取りを知らずにいるということは、自分自身を紐解くときのヒントが少なくなるので、現実とのズレが大きく納得が得にくいということにもなります。想像でクリアできることもあれば、まだ両親が健在な場合には擦り合わせた方がより解像度がますということもあるので、私には自分らしさを知る上で大事なポイントだったように思います。

自分の気質と親の気質

私はASDよりの気質が大きい特性があります。嗅覚や聴覚が割と敏感で物音にビクッとしたり、不快な匂いに対して無意識に呼吸を止めたりという子供でした。
そんな私の幼少期を育ててくれたのは、主に祖母でした。祖母も、今思い返すと同じ気質だったんだろうと思うのです。朝晩は必ず床拭きをしていたり、欠かさずお経をあげていたり、モノが少なく整頓されていて、感覚的に何か過敏があって「きっちりしておかないと気が休まらない人」だったと思うのです。
祖母との暮らしは、幼少期の私に落ち着きある暮らしを与えてくれて、それが私はとても好きでした。

そこから、小学一年になるときに我が家は核家族になります。母との暮らしは、安心感があったし、気楽な面もたくさんあって、家が好きでした。だけど、気質は私と真逆の母だったので、核家族になった我が家には騒々しさが常にありました。
それは暮らしの音によく反映されています。
特に聴覚過敏の私には、その騒々しさがなんとも不快であったと思うのですが、賑やかで楽しいといえば楽しかったような…という感じで過ごしていました。

そして、私には4歳・6歳離れた兄がいます。
そのため、兄たちと過ごす時間がすごく長くて、兄たちから間接的に両親の影響を受け取ることが多かったので、父母に直接教わるとか叱られるという経験がそもそも殆どありませんでした。

だから、今実家を行き来したり、両親が孫と接する姿をみて気付かされることがとても多かったのです。そんなこと言うんだとか、そんな風に接するんだと、衝撃だったりおかしかったり。今になって『そうそう、昔からこうだった』という懐かしさより『そうなの?』と驚かされるという。

この2年近くは両親を近くで観ることができて、新鮮さもありいい経験になったなと感じています。


5年間の空白期間

私は3人目の子供が一歳になった頃からの5年間、子育てから離れていました。
その間は両親や元夫が子供たちと暮らし、育ててくれていました。

この期間、私は自分自身の育て直し期間を得ていました。
自分の想像している未来のカタチと現実が合ってこないことへの焦りとか、自分の不安を上手く表せないことでの精神的負荷とか、何をしてもどこかでチグハグと歯車が狂い始めるような感覚がどこから生まれているのか…。それをずっと探していたような感じでした。

『何かおかしい』
看護師時代も田舎での子育て中もずっとずっとあった疑問で。
この感覚の正体がなんなのか、私は知りたかった。

その思考の整理期間でもあり、心の回復期間でもあった5年間。
この時期、とても大きかったのが自分自身の『大切にしたい感覚』を他者に認めてもらえたことでした。
『ここを綺麗にしておきたい』
『ゆっくりじっくり時間をかけて料理したい』
『お昼まで寝ていたい』
『散歩に行きたい』

当たり前のようで、『そんなこと、どうでもいい』といつもどこかで排除されてきた私のこだわりが、初めて他者に『いいよ。すごくいいモノだね』と受け止められて認めてもらえた。そんな感覚をこの時期にはたくさん与えてもらっていたように感じます。

そこには、私らしい特性への理解と容認、それ以上に『価値あるものとして扱われている承認や信頼』を感じることができていたんだと思います。
これでいいし、これが良い
私自身が排除し続けてきた自分の特性に対して、特別な言葉や出来事ではなく日々の暮らしの中でそう扱ってもらえたこと。それが私には何より深く伝わり、私自身を変えていきました。

『何かおかしい』

その正体は自分自身の特性を否定しながら、『その場に存在し認めてもらおう』としている自分自身の在り方に対する感覚だったんだなと、今は思います。
ちゃんと『自分らしくいてよ』『特性活かさずに誰かのためになれることはないよ』と、潜在的には感じていたんだと思います。

そんなことに気づくまで、私自身の感覚を尊重して育て直してくれた人
私を私らしく歩ける自分にしてくれた人

その人との時間をいつか子供たちにも伝えたいし、
自分らしさを私よりももっともっと早く活かして
人との間で堂々と生きられる人になってほしいと思っています。

40代になって観える景色

『自分らしさ』というものを、ずっと探しながらきた私が今感じているのは、人それぞれ持つ『気質・特性』をもっと存分に活かし合える世の中になってほしいなということ。

私は今自分の働き方が好きです。
以前は就職するか自営で成り立たせるか…とか、二択で必死でした。
だけど、働き方というより、『どんな役割を自分が果たせるのか?』という、日常を自分らしく整えるようになって得た『自分の特性の活かし方』をいろんな場面で考えるようになりました。自分の気質や特性に詳しくなり、使いこなせるようになると、どんな場面でもどんな人にでもその力を発揮できるようになります。

そして、その特性を活かして存在できた時、役割や役職や職業を越えて心からの『ありがとう』を他者からもらえるようになった気がします。

私だからできたことで、自分も自信を持って提供できて、相手からも心からの感謝をもらえるというその循環が私に与えてくれる充実感。そこには以前のような『何かおかしい』という漠然とした不安は一切なく、ただただ充実感と安心感を与えてくれています。

今、高校生になった長女は、『社会に近づきつつある不安』を漏らすことがあります。
みんな通る道であり、自分らしさを見つけていく過程でもあると思うのですが、そんな彼女に色々説明しても分からないと思うのです。

だけど、その子に合う環境や安心できる暮らしというのは絶対的に必要なもので。
自分に合う日常を自分で作れるようになることを、一緒に考えたり試行錯誤してみることで伝わっていくものがあると思っています。

その子がその子らしくいられるってどういうことなのか?
・心地よい状態でいられる瞬間の確保
・『こうしたい』と湧いてくる感覚を認めてあげられる余裕
・自分自身で感じて創ることができるんだという自信
暮らしの中でこそ伝えられる大切なことを、これからも大事にしていたいと思っています。

何か特別なことじゃなくて、日常が一番響き伝わるものなんだと、
私自身が経験させてもらったからこそ、大切に出来る今です。

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