私の母と業務用ミシン

家族について

私の小さな頃の記憶には祖母がいます。祖母との時間が大好きで、母との記憶は薄かった私でした。

そんな母との記憶が濃くなったのは、小学校に入ってから。ずーっと3段ベッドの一番上で、大好きなおもちゃを持ち込んで一人遊びしていた私。遊びに行くときは、兄たちとの外遊びくらいで、同年代の子たちと遊ぶことが少なかった私でした。

そんな私を気にかけながらも、なにも言わなかった母でした。家事をしてる母にくっついて、ワーワーと学校での愚痴を言い始めた10歳前後の私は、人に合わせるとかがやはり苦手な子だったのだろうと思うのです。

それなりに上手く人付き合いをして、学校での楽しいこともあったけど、それより低学年の頃の私は、人の理不尽さやズルさに納得がいかなくて文句を吐き出していました。

兄たちや自分より年上の人と過ごすことが圧倒的に多かった三人兄弟の末っ子の私は、とても我がままで自己中だったなと思います。

そんな時、母は『人の悪口や文句を言わないこと』を私に伝えました。私の分かってほしかった気持ちは宙に浮かんだままになっていて、それはずっと自分に漂わせたままになってしまっていたけど。人との中で折り合いをつけていく力は少し養われていったのかもしれないなと思います。

あの頃も、特に反抗期のないままに来ていた30年間も、私の中には『漂ったままの気持ち』がずっと残っていたけど。大喧嘩をして、言いたいことを言って、やりたいようにとりあえずやり切った40歳目前の私には、少しだけ母の気持ちと有り難みが分かるようになった気がします。

私の母は、自分の成人式用にと祖母が残してくれてきた振り袖代を大学入試資金にしてくれと頼みこんで、大学に入った人。それでも、大学の四年間を終えたら、そのままいきなり専業主婦になり、ずっと家庭にいた人。

だから、人との中で生きたかったけど、祖母と同様専業主婦をすることになり、私にとっては毎日家にいて身の回りのこと整えてくれてるだけの人でした。だから、父のほうが頑張ってると感じていたし、よく分からないなりに好きだった。

だけど今は、家にいて家族のためにみんなが不備なく負担なく暮らせるように整え続けることが、どのくらい大変で忍耐のいることなのか分かるような気がするのです。

家にいて、家事をこなす母・空いた時間には好きな裁縫をして、その裁縫も家族に還元してきた母。

楽してるようでしてなかったし、

自分勝手なようで耐えてた。

そんな母が言い続けてた『女性も手に職を持って働けるように』という言葉の重みが、今はちゃんと飲み込める気がしています。

私の救いは、母が続けてくれてた『裁縫』で。彼女はずっと裁縫をし続けて、自分の好きな服を作ったり、私の服も作ったりして楽しんでいたのだなと思います。

一時期は仕事にもしてたし、注文を受けて作ってたこともありました。人との仕事は出来なくて、もしかしたら合わなかったかもしれない母だけど、ちゃんと好きなことは持ち続けていて、活用しているんだなと思うのです。

私の実家には、家には似つかわしくない業務用ミシンがあります。それは、母にとって大切な自分を表現する道具なんだな。

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