今年は午年で、父が年男です。
私と父はあまり会話しなかったし、
私は父が怖いというイメージで
そっと避けていたような関係でした。
母との距離と父との距離でいえば、
断然母が近かった。
だけど、私はなぜか父のイメージは
怖いのに好きで、私と似ていると
感じていました。
いつも会話はほとんどなくて、
なんとなく距離があるのに、
それでもいつも父の優しさは
感じていました。
自分が親になってからきた私の反抗期
自分に子供が生まれていろんな経験をして、
ある時大きく親に反発させてもらいました。
その時は自分ではよく分かっていなくて、
何がしたいのかも分からなかったのですけど。
混乱の後にはフラットな視点が生まれていて、
今は父の優しさをきちんとキャッチできる。
親との距離感って、
子供の頃のまま止まってて 動けないこともあるようで、
私は子供のままの視点で30半ばまで見ていました。
怖がっているところ・馬鹿にしているところ
嫌いなところ・好きなところ・可愛さや醜さ
尊敬できるところ・感心するところ
いろんな視点が子供のままだと
どうしても偏っていて、
変なところで甘えたり、強がったり。
大人同士の『ただの人』として接することができません。
「親を等身大で見られるようになって」感じること
そこから、ぐ〜っと抜け出させてもらうのに、
私は何年もかかりました。
それも一人ではできないことでした。
今、ようやく大人同士の視点で両親を見られる
そんな感覚になって。
そうなると、父の自然な本質的な優しさが伝わり
私がよく分からないけど好きだった部分が
はっきりわかるようになってきました。
いつも出かける時には 『お金足りるか?ちゃんと持って行け』 と、
困らないように声をかけてくたり
買い物でも質の良いものを選んだり
実家の車を使う時には ガソリン満タンで準備してくれていたり
自転車のチェックもしていてくれたし
部屋の耐震補強してくれたり
そっと力仕事を代わってくれたり
山の家で遊ぶときは特に、
まきや小枝が綺麗に整頓されていて
使いやすく準備されている
言葉にしなくても
いつもそこには父の優しさがありました。
さあ、やろうって動き出す時に
いつもそこに、そっと置かれた
父の優しさがありました。
そんなことを最近になってよく思い出す。
だから、私も誰かが困らないように
前準備しておいたり、不足物を補充しておく…
そういうことを、大切にしていたいのかもしれない。


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