昨日は節分でした。
立春を迎えたのに寒いですよね…。
今年は2月2日の日曜日が節分の日で、
神社の福豆まきの日がぴったり節分。
そんな福豆まきに息子と参加しました。
人混みの後ろの方で、全然福豆に届かず、
残念な気持ちで息子を探していたら、
『これっ』と彼は五つの福豆を握って
人混みの中から出てきました。
息子は姉2人に揉まれ、あまり手を出さなくて
引っ込まされることも多いのだけど。
こういう場では割と積極的で、スス〜っと入り、
目的を果たしてくるんだな…と、改めて感じました。
お参りもしていこうと、そのまま参拝を。
その時、お賽銭箱付近に落ちていた福豆を
宮司さんが拾って2袋を私たちにくれました。
みんなの分が取れてよかったね〜と、
嬉しい気持ちになった福豆まきでした。

コロナ禍で人混みになる行事が見合わされ、
こういった行事や季節をみんなで楽しむ機会も
随分減っていました。
何年ぶりだろうか…と、私も懐かしい気持ちで
参加している地域行事。
こういう行事の中で観る子供たちの様子は
家の顔と違ったり、その子の特性が観えたり、
なかなか面白いものなんですよね。
体験格差
体験格差なんて言われるくらい
子供の頃にどんな体験をしたことがあるかが、
その後の人生で『意欲』を保つのに重要だと
聞いたことがあります。
・『やってみたいな』と芽生える気持ちを
実現させてあげたり…
・『やったら楽しかった』っていう体感を
持たせてあげたり…
・体験を通し出会った人とのエピソードを
なんとなく覚えていて追体験したり…
そういうことが、今後活きてくるといいなと感じています。
人との距離感や関係性に悩んだり、
友達作りに右往左往する。
そういうことが、人生ではずっと続いていくだろうと思うのですけど。
色んな人と色んな体験をしてきたことが、乗り越える糧になっていく…、
私もそんな風に感じています。
私は離婚もしたし、子供がいる中で親に反抗して大変な時期もありました。
私自身が元々学校が苦手だったこともあり、子供たちの学校生活にも不安いっぱいで不登校を経験させたこともあります。
今は本人希望での休みを認めることが多いですが、当時(4年程前)は私の問題の中での不登校でした。
自分で体験することを取り上げるというのは、勿体無いし大きな問題なのだと今では痛感しています。
まだまだ難しいことも多いのが現状。
それでも、できる限り子供たちのやりたいを実現させてあげられる自分でいたいと思っています。地域行事一つとっても、学校での友達関係であっても、彼らの世界を広げていく大きな体験の一つとして、一緒に向き合い・必要な援助をできる自分でいたいのです。
ただ、それには私だけではダメで。色んな人の意見も取り入れられることが大切なんですよね。子どもたちが、それぞれに適した何かややり方を手にしていくために、色んな人に携わって頂き、様々な方法と考え方があることを教えてもらえることが、彼らも私のことも助けてくれます。
パッと手を差し出してもらえる存在でありたいし、その差し伸べられた手に感謝して受け取れる人で在りたい・在って欲しいです。そういう感覚を得られるのも、地域行事や活動の良いところ。
体験の搾取
もう一つ大きなことは、小さな体験を搾取しないこと。
私は末っ子で、かなり長く『できない前提』を生きてきました。
祖父母・両親・兄2人がやってくれることがほとんどで、私がやる時には『大人の目』が常にありました。『危ないから・失敗するから・大人がやる方が早いから』という理由で、止められることも多々ありました。
そうなると、いつからか『私はやらない方がいい』と思い込み始めます。それは、いずれ自分の体験を自分で搾取する大きな要因になっていきます。
体験することで、人は失敗もするけどそれ以上に『反省が出来る』んですよね。初めてのこと・慣れないことが出来ないのは当然のことで『どうしたら出来るか…』と、一緒に考えられることが重要だと感じています。
出来ない理由はその人によって違うし、『その人だから出来ない』という問題ではないのです。
・出来るように頑張れるかどうか
・やってみたい気持ちがあるかどうか
・出来るために試行錯誤できるかどうか
それでも出来ないこともあるけど、出来るようになる事もたくさんあり。その体験を持つことで、出来ることや応用できることがどんどん増えていくのだと思うのです。
出来ることが増えれば、その中で『好きなことや自分の傾向』も理解できていきます。
私は自分自身で搾取していたこともすごく多かったから、今になって『もっと早くやっていたら良かった・自分のやり方を見つけていたら良かった』と思うことも多いのです。
子どもや他人の体験を私が搾取してしまうことがないよう、『どうしたら出来るか…』という視点を持って接することも大切にしていたいです。
こういうことを身をもって感じられ、自分がどうすべきなのか…と考えるお年頃になってきた子どもたち。話して聴かせるでは伝えにくい想いも、行動・体感として響いていくと嬉しい…。
そんなことを感じる時間となった節分の1日でした。子どもたちそれぞれと別のことをして過ごしていたのですけど、テーマが共通していて、すーっと理解が進むというのも不思議です。
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